年が明けて2009年になった。今年も世の中の変化は激しいだろう。昨年秋からの経済危機はグローバル化の恩恵を受けてきた日本語教育系出版社にも影響はあるのだろうか?あるかもしれないし、ないかもしれない。
ところで「真の包括的な言語の科学」の売れ行きはどうだろう。正月休みでデータが上がってこないので気が楽だ。
この本の第4部は言語学者の松村一登氏との往復書簡になっている。月刊言語に92年から93年にかけて連載されたものだ。たとえば376ページの1節
「むしろ、私は、この連言命題がそもそも成立するということが意味するべき「驚き」を強調したい。言語が道具にすぎないのならば、それが自律的体系を形成することは自明ではない。言語が自律的体系であるならば、それがそもそもなにか別のことの役に立つということもまた自明ではない。現代の言語学者に対する私の直感的不信感は、彼らがこのことに対して、率直に驚きを感じているように思われないことに由来しているのであろう。」
この文章には大いに啓発された。というのも、じつはこの1節から当社の主たる出版領域への批判も導かれているからだ。しかし土屋氏の批判は結局のところ、「コミュニケーションの道具としての言語という観点の忘却」という点に回帰し、松村氏も指摘するように「コミュニケーション」の内容が十分に展開されているとはいえない。それでもこの1節はわたしには新鮮な響きが感じられる。なぜなら、言語が最初は感動の発声や掛け声だったとしても、なぜ自律的になっていったのかという問題はあまり議論されていないように思えるからである。別に文献にあたったわけではないが、著者の先生方とランチなどをご一緒するときに言語の起源めいたことを話題にしても全然乗ってきてくださらないのである。しかし言語の起源は数万年から数十万年といわれているが、一番歴史が浅い1,2万年という数字を考えると文明化の直前であり、前回コラムでも別の出発点から書いたように「自律的に深化していった言語」ということをどうしても考えたくなるのである。もちろん、「報告としての言語」がそのような急速な自律的な深化をもたらした、というのが私の想像である。もし、一番あさく歴史を考えた場合、ひょっとして現在の言語がもっている文法的特徴とさかのぼれる限りの古代語の特徴からなにか傍証めいたものが見つけられるのではないか。たとえば、報告の場合は報告すべき出来事はみな過去のことだから過去、現在、未来といった単純時制より、何かがおわった、まだ継続している、といったアスペクト表現のほうが重要である。もし、アスペクト表現のほうが古形によく保存されている、というような事実がみつかればおもしろいのではないだろうか。
また、土屋氏は「自分」という表現やその表現がよく出現する埋め込み文を念入りに分析する人々を盛んに批判しているが、報告の際にはこれらの表現はとても重要である。
「沼のほとりで遭遇した別の群れはこの果実はわれわれ(自分たち)のものだと主張した」
のような埋め込み文である。そういえば、「この果実」の「この」という指示表現も報告の際には、もともと眼前にあった場所を離れているので、高度に自律的でなければならないのである。
一方、前回コラムで書いた自律的言語をしゃべる人々が生存上、有利である根拠として他者の経験を丸ごと詳細に味わうことによって生まれる共感や愛情が群れを膠のように一体化し、強化する、と書いたが、ここからも面白い仮説がうまれるような気がする。、もっともこれは人類学では常識かもしれないが、「かたり」の重要性である。もしかすると上記のような構文は「かたり」をする人々、中世でいえば、「琵琶法師」のような人々が作り出し、急速に広まったのかもしれない。
土屋氏からは「自分でいじったもの以外は書かない。コーパスも自分で作った」とのメールをいただいたことがある。千葉大学音声対話コーパスの厳密さは第5巻で披露されることになる。しかし、状況のなかにメンバーがそろっていない報告のような場合、言語には違う機能が求められるのではないだろうか。
このように言語に対して愛情と深い洞察を持ち、自由に、そしてしばしば言語学者批判という体裁をとって展開する土屋氏の論考は、言語学者にとっても普段至近距離から付き合わざるをえない研究対象から少し離れて、自由に考えてみるたくさんのヒントが隠されているのではないだろうか。