互いに産婆役となり、双子の兄弟のように誕生する著作集

土屋俊コレクションの第1巻を校了にすることができた。あとは18日に出来上がってくるのを待つだけであり、なんとか年内に間に合って、胸をなでおろしているところだ。とはいえ、このコレクションは企画から初回の刊行まで、かなりのスピード感があった。著作集の刊行が決まったのは今年の5月17日、日本語学会の春の大会があった日だった。

その日の朝、小社の会議室では変わった会議が始まっていた。メンバーは土屋俊氏(千葉大)、芳賀高洋氏(お茶大付属中)、三宅健次氏(千葉大付属中)、それに、くろしお出版から二人が出席していた。議題はウェブを利用した情報教育のゼミナール、学校の先生を対象とするので、教師役になった芳賀氏と三宅氏が互いに次々と質問を出し、自作自演でふつう教師が答えるであろう答えを出していく。それに対して土屋氏がそれを根本から粉砕してしまうような反対意見を述べる、という会議であった。

とはいえ、反対意見はそう簡単に述べられる(書ける)ものではなく、やや曖昧な時間が流れているときだった。颯爽と入室してきたのは山東功氏(大阪府大)である。山東氏はその会議に参加しようというのではないが、私の誘いに強い好奇心を発揮され、見学にいらしたのである。もちろん、他にも用事があり、それは古田東朔著作集の刊行に関する事であった。

会議の出席者たちは、できるならウェブを利用して何かやりたいと、考えている人たちであり、私もいろいろウェブの可能性について追求していきたいと思っていた。著作集という大きな企画を携えて来社された山東氏に私は著作集をウェブで展開する可能性などについて質問したような記憶がある。それに対し山東氏は
「著作集は実験するものではなく、献ずるものです!」
ときっぱりと宣言し、足早に日本語学会へと向かわれたのである。

あとに残った人たちは元の会議に帰っていくのもなんだかなー、という感じでいたが、突然私は「土屋俊著作集というのはどうだろう」と考えたのである。それまで著作集というのはもっと年齢的に上の人が出すものだと思っていた。しかもそのとき、いままでブラウザの不調で私のパソコンではどうしても開けなかった土屋氏のホームページの著作一覧が魔法のように開き、30年にわたる広範な領域の研究のほぼ全貌のタイトルが目の前に浮かび上がったのである。

幸い眼前に著者がいたので同意が得られ、著作集を出すことが決まったが、そのときはまだウェブと書籍の役割分担などはなにも決まっていなかった。結果的に書籍で出すことにしたのは振り返れば当然で、ウェブでは課金方法が確立されていないことのほかにも、ウェブで美しい版面や表紙を作ることは不可能である。性能のいいパソコン上で美しく見られるように作ってしまうと別のパソコンでは開くのに時間がかかるらしい。

なにより、編集作業をウェブ上でやることは著者にとってはほとんど不可能だったのではないだろうか。これは著者自身がお書きになることかもしれないので、これ以上ここで言うべきことではないだろうが、2千数百ページになるような分量を、多忙な夏休み中に全部読み、各巻ごとに、またその中でもテーマ別に並べ替えたりするのは紙でなければちょっと想像できないことである。

さてもう一方の山東氏も夏休みを悩ましく過ごされたようである。

「『東海道四谷怪談』において上方風、東国風、両方の言い方をしている人たち」
「『東海道四谷怪談』において上方風の言葉遣いをする人たち」
「『東海道四谷怪談』において東国風の言葉遣いをする人たち」

これは古田東朔先生が昭和の末から平成初頭にかけて発表された論文で、調べが進むと前の論文を訂正されることもあり、前の論文を受けて次の論文が書かれているのでかなり重複する部分もある。まとめて1本の論文にする前に次のテーマに関心が移ってしまわれたのかもしれないが、現状では、お願いできるような御年齢ではない。このような論文が多数あるようで、さすがの山東氏も小休止を余儀なくされてしまったのである。

一方、土屋氏は、各巻、発表年代順に並べられたゲラを通読した結果、発表年は考慮せず、中とびらを用いてテーマ別に括りたい、との要望を寄せられた。当初は、若いころ経験された恩師の著作集編纂のことを思い出し、「著作集は年代順、初出のまま訂正はしない」と言っていたし、われわれも著作集とはそういうものだと漠然と思っていた。
土屋氏は「通読可能な」ということばを使って、全体の編集方針を語っている。中とびらで括る方針変更もその延長線上にあるといっていいのだろう。

この「通読可能性」というコンセプトを山東氏にお伝えし、読者本位の通読可能な著作集にすれば、広範囲にわたる古田東朔先生の業績(近代語の成立、文法学史、近代国語教育、語史、伝記etc.)を、領域を網羅しながら、学生でも利用できる価格で提供できるのではないか、とお話したところ、さっそく他の編集委員の先生方にも諮ってくださり、幸いにしてご賛同を得ることができたのである。

このようないきさつで誕生する二つの著作集であるが、実は著者同士にも浅からぬご縁があることが判明した。古田東朔先生の東大駒場での授業を土屋氏は学生として受講していたのであった。

来年夏から刊行開始の古田東朔コレクション、引き続き刊行を続ける土屋俊コレクションの両方に興味を持っていただければ大変ありがたいのです。