【第3回】 「土屋ケンシロウ」のこと

大谷卓史

「ねえ、ねえ、大谷、大谷ぃ、土屋って先生知っている?」

 確か、大学に入った年の後期が始まってすぐ、10月のはじめ頃だったと思う。同じサークルのAクンが、突然こんな風に聞いてきた。ボクが千葉大学文学部行動科学科に入学したのは1985年のこと。入学時に学科の先生方と対面していたにもかかわらず、当時あまりよい学生じゃなかったボクは、このとき初めて先生の名前を意識したように思う。

 当時の千葉大学の教養課程には、「総合科目」といって、一つのテーマについて学部の壁を越えて、多くの先生方が15回もしくは30回の講義のうち2、3回ずつを担当して、多面的にそのテーマを掘り下げるという授業があった。Aクンは文学部文学科で、確か卒論は谷崎潤一郎を取り上げたはずだ。彼が聴講していた総合科目は「ことばと人間」というテーマで、そこで土屋俊先生の授業を受けて、あまりの衝撃にサークルの部屋に飛び込んでくるなり、先生が所属する行動科学科の学生だったボクに声をかけたというわけだ。

 速射砲のように飛び出す密度の濃い講義の内容をノートにとるだけでもたいへんなのに、話の節目に来ると「というのは、ウソで」といきなり否定にかかり、「え?今までの話は何だったんだ?」と思うと、今度はその反対意見を滔々と再び速射砲の速度で叩き出す。反対したい意見をまず紹介してから、それに批判をぶつけて議論を吟味するというのは、中世以来の哲学の基本的スタイルだと今ならわかるが、大学に入ったばかりの学生には強烈だったろう。めくるめく哲学用語と言語学のテクニカルタームの連射で、混乱の渦に巻き込まれた彼は、得意のマンガで授業の様子を記録したものをボクに見せてくれた。

 土屋先生の似顔絵らしきもの(先生の授業を取っていなかったので、当時はよく土屋先生のお顔がわかっていなかったが)が、「プラトトトトトトト」(おそらく、「プラトン」の名前がAクンの脳裏にはこだましていたに違いない)という叫び声とともに、当時流行っていた『少年ジャンプ』の連載マンガ『北斗の拳』の主人公ケンシロウのように、目にもとまらぬ速度で言論の拳を繰り出し、Aクン本人が「ひでぶ」の声ととともにノックアウトされるという4コママンガだった。確か、土屋ケンシロウには、「チョムスキーはウソ」「デリダは何もわかってない」などの過激なセリフも書き込まれていた。

 あまりにも授業が衝撃だったようで、土屋先生の担当授業が過ぎてからもしばらくAクンは先生の話ばかりしていた。ボクはといえば、入学当初は心理学でも勉強しようかと思っていたので、「哲学の先生だしなあ」とただおもしろい先生の話と聞き流していた(当時、千葉大学文学部行動科学科は、1年の終わりに哲学・心理学・社会学の専攻を決めることになっていた)。しかし、その後どういうめぐりあわせか哲学専攻に進学することとなって、気づいてみると土屋先生には20年以上お世話になっている計算になる。

 大学時代は先生方にとても恵まれた。それまでも本を読んだり、知識を集めることは楽しかったが、学校の勉強がおもしろいなと初めて感じたのは大学時代だった。なかでも土屋先生が担当されていた「科学哲学概論」と「言語行為論」は印象深い講義だ。

 最初の講義の日、50人ばかり入るだろう教室は学生でいっぱいだった。しかし、授業開始後10分経っても、20分経っても先生はなかなかやってこなくて2年生だったボクらは不安になったのだが、先輩方は落ち着いたもので「またか」という態度である。

 悠々と、しかし早足で教室に入ってきた土屋先生は前置きもそこそこにやはり速射砲のようなスピードで講義をいきなり始めた。科学哲学も言語行為論もまったく未知の分野だったし、先生の口調も確かにノートをとるのがたいへんなほどのスピードで難解な術語混じりの内容だったが、明快でよく整理された説明はストンと腑に落ちるもので、現在もボク自身がいろいろと物事を考えるときのベースになっているように思う。学生のほうは学生のほうで、先生の講義の物凄いスピードを楽しんで、喜んでいたようだ。

 ある日の言語行為論の授業では「大発見しました!」とうれしそうに飛び込んできた土屋先生が、サールによるオースチンの言語行為論の解釈について批判を述べていたのだが、あまりにも高度な内容でほとんど学生はついていけず(ボクもわかるようなわからないようなという感じだった)、ポカーンとしていたのだが、「いやー、わかった!」と土屋先生が非常に嬉しそうだったのが記憶に残っている。学生もあっけに取られつつ、その学問に対する無邪気な喜びのようなものに感染して、なんだか嬉しくなっていた。

 ボクが2年生の11月に、先生はスタンフォード大学のCSLI(言語・情報研究センター)での在外研究に向けて旅立った。そのため、この年の後期に割り当てられていた「言語行為論」の後半はだいぶ駆け足になった記憶がある。最後の授業から数日経ったある日、遅い昼ごはんを食べようと、千葉大学正門前にあった、カウンターだけの小さな食堂「不思議亭」に入ると、土屋先生が食事をしていた。一見社交的に見えるらしいが、本当は内気なボクは失礼なことにペコリと頭を下げただけで、早々にカウンターに座ってしまった。ちょうど食事を終えられるところだった先生は、「じゃあ、また」と言って店を出ていかれた。これが、先生が渡米する前、お目にかかった最後だった。

 先生は、それから約2年間CSLIに留まり、帰国されたのは、ボクが4年の11月だった。それから思いがけず先生との長いおつきあい(というよりも、一方的にボクがお世話になってばかりなのだが)が始まるのだが、もちろんこのときはそんなこと夢にも思っていなかった。何しろ、1年終わりの哲学専攻が決まってはじめての飲み会ではなぜか土屋先生が不機嫌で、「うわ、怖い先生・・・」と思って、なかなか話しかけられなかったほどである。まあ、とっつきが悪いのも先生の特徴だろう(最近は体形に反比例して丸くなってきたが)。いまではよい思い出というか、美空ひばりの歌ではないが、「人生って不思議なものですね」と思う。

 ところで、ボクが3年生のときに先生は一時帰国されたのだが、そのときは「ヒッピーみたいになっていた」とある先輩が形容するほど物凄い姿だったらしい。現在は会議、会議の連続で面倒くさいからという理由でスーツばかり着るようになった先生からは、髪の毛が肩まで伸びてヒッピーのようになった姿はほとんど信じられないかもしれない。結局ボクはこのときヒッピー・バージョンの土屋先生と会うことができず、先生のとんでもない姿を見ておかなかったことをちょっと後悔している。

大谷卓史(おおたにたくし) 吉備国際大学国際環境経営学部
吉備国際大学 国際環境経営学部環境経営学科 准教授

千葉大学大学院文学研究科(行動科学専攻)修士課程修了後、技術系出版社の編集者、フリーのサイエンスライター、東京大学大学院工学系研究科博士課程を経て現職。科学技術史および情報倫理学を専攻。情報技術の歴史、および情報技術と諸制度(とくに、著作権制度、プライバシー)・価値との相互作用に関する倫理学・哲学的研究をしている。