【第2回】 大学教授 土屋先生(私と学問との出会い)
川端良子
第一回目の著者人物紹介の筆者である芳賀先生から、この人物紹介のコーナーに記事を書くことを依頼されたのですが、土屋先生と一緒に行ったことで世の中の人にとって多少でも意味がありそうなことといえば修士のときの学会発表で共著者となってもらったくらいである私としては、面白いことは書けそうにない、と気を重くしていたのですが、学部、修士、博士と土屋先生にお世話になっている私が書くべきは、大学教授としての土屋先生の姿だと思いつき、本文章を書くことにしました。
大学教授というのは、研究者である一方で教育者でもある、というのが望まれる姿だと思います。そのように考えたとき、土屋先生が良い大学教授であるかというのは、人によって意見が分かれるところでしょう。
土屋先生は非常に個性的な先生です。そのことは私たち卒業生から「土屋語録」と呼ばれている数々の先生の名言から予想されるのではないかと思いました。
そこで今回は、その土屋語録を紹介し、それにまつわるエピソードなどから土 屋先生の紹介をしてみようと思います。
土屋語録その1「環境さえ与えてやれば学生は勝手に学ぶ」
土屋先生が所属する認知情報科学講座とかつて所属していた哲学講座は千葉大学の文学部の中にあるのですが、私が学部生だった1997年のときにはすでに文系とは思えない程、コンピューターとネットワーク環境が充実していました。
認知情報科学講座の学生(認知の学生)が集まる「認知部屋」には学生が管理するUNIXの計算機があり、WEBサーバ、メールサーバが動いていました。学生は全員そのUNIXにアカウントを作ってもらえ、他の端末からエミュレータを使ってUNIXにログインをして、いくつかのコマンドを覚えればメールの読み書きやレポートの作成ができる環境になっていました。
私は最初の頃、UNIXのコマンド自体わけが分らなかったのですが、UNIXのファイル構造が分ってコマンドを覚えてくると自分でいろいろ調べることができることに気がつきました。サーバーという概念も最初はよく分らなかったのですが、現在動いているプロセスを表示するpsコマンドを使って、確かにhttpdというデーモンが動いているのを見て、「なるほど」と思いました。さらに、そのデーモンはどうやって起動されているのかと疑問に思ったのですが、/etc/rcというディレクトリ内を注意深く読むと起動時に呼ばれるスクリプトに各プロセスが起動されることが書かれていて、また「なるほど!」と思いました。
土屋先生はやたらコンピュータ(土屋先生は「計算機」と呼ぶ)に詳しい先生でした。その理由はアメリカで研究している時に、ネットワークを自分で構築せざるを得ない環境に置かれたために、いやおうなしに覚えたからだ、と聞きました。その経験があったからか、先生は学生にはコンピュータやネットワークを使える環境を整えることが大事だと言っていました。認知のIT環境の充実ぶりは土屋先生のおかげであることは間違いありません。
ソフトウエアのインストールも今とは比べものにならないほど難しく、夜中までコンピュータをいじることもあったのですが、「(UNIXで)分らないことがあればまずはman(マニュアルを表示するコマンド)で調べなさい」という指導のおかげで、コンピュータの問題は注意深く調べれば原因は必ず見つかる、という信念を持てるくらいになれました。
余談ですが、海外の計算機では日本語が文字化けすることが頻繁にあったそうで、土屋先生は「その頃は文字コードから日本語が読めた」そうです。私は笑いながらも「すごい」と思っていました。
土屋語録その2「レポートは質より量」
土屋先生にはよく「そんなことも知らないの!?」「本当に不勉強だね」と言われていました。最初はそんな事を言われて多少傷ついていたと思うのですが、次第に自分が本当に不勉強だということが分ったことや、土屋先生への理解が深まったことによって解釈が変ってきました。
土屋先生の勉強量はハンパじゃない、ということは土屋先生の何気ない発言からも推測できます。先生は英語が得意であることは知っていたのですが「高校生のときに(論理学者、数学者として有名な)バートランド・ラッセルの有名な著作(どの本かは忘れました)の原文を読んだ」というのを聞いて、英語が苦手な私は「高校生の時点の先生にすでに負けている」と思いました。他にも研究室の先輩から「土屋先生は英語の母語話者よりも文法的に正しい英語が書ける」とか「外国人も書かないような1つの文に関係代名詞が3つも4つも付いた文を書く」と聞いていてすごい、と思っていました。
また、先生は文章を書くのも上手いのですが、語彙力も抜群です。先生のような文章は才能がなければ書けるものじゃない、と思っていたのですが、あるとき先生に「国語辞書はひくものじゃない、読むものだ」言われました。辞書は分らない言葉を調べるものだとばかり思っていた私はそれを聞いて「はっ」としました。土屋先生が辞書を端から読んで楽しんでいる姿を想像すると、それは語彙力が付くに違いないと思いました。私は自分の不勉強を認識するとともに、国語辞書の楽しみ方を知りました。
これは私の解釈ですが、土屋先生は私だけではなくほとんどの学生に対して「不勉強」だと感じています。そのことは土屋先生にとっては悲しい事実なのではないかと思います。そんななか出てきたのが「レポートは質より量」という名言です。一般的に教育は「量より質だ」と言われることが多い昨今とは真逆を目指すような発言ですが、教育的には一理あるかもしれません。自分のように不勉強な者がすぐによい論文が書けるようになるわけがありません。「学生に内容的に優れたレポートを期待していない」、「文章もまともに書けないのだから文章を書けるだけで十分偉い」、というようなことは聞き流しながらも、とりあえず書いてみる、ということが必要なのではないかと思います。
土屋語録その3「人生の目標は一生勉強し続けること」
これは私くらいしか聞いたことがない名言かもしれません。私は自分の人生をどうやって生きてゆけばいいのか、いつまでも決められず悩んでいるような人間なのですが、そのことに今よりも悩んでいたとき、思わず先生に「先生の目標は何ですか?」と聞いたことがありました。そのときの答えが「一生勉強し続けること」だったのです。私は「かっこいいなあ」と思い、他にもっと良い人生の目標が見つかるまでは同じく「一生勉強し続けること」にしようと決めました。今もその目標は変わっていません。
不勉強な私が修士へ進学することを決め、博士まで行きたいと思えたのは土屋先生から学問の魅力が溢れていたからだと思っています。
この他、土屋先生の名言はまだまだありますが、今回はこのへんで著者人物紹介を終わらせていただきます。
川端良子(かわばたよしこ) 株式会社リバネス,千葉大学大学院
千葉大学大学院 文学研究科を卒業後、システム開発会社に就職したが、研究をつづけたいという思いに駆られ、千葉大学大学院自然科学研究科に社会人学生として入学。その後、株式会社リバネスに転職して、大学や企業の研究成果を分かりやすく社会に伝えることで、大学、企業と学校、社会をつなぐ活動に取り組む。社内ではwebページの作成や情報管理を担当。大学では土屋先生の指導の下で対話の研究を行っている。